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常識を疑い固定観念から抜けだそう
早いもので2013年も最後のコラムになりました。振り返ってみれば相変わらずタッチ&ゴーの旅ガラス生活ではありましたが、旅先での見聞に加え、2020年東京オリンピック開催決定や一流ホテルの“誤表示”問題など、いつにも増し て、「日本とは」「日本人とは」について考えさせられることの多い1年でした。今回は年度末にふさわしく(?)、そんな私の心のつぶやきを総括します。
問題は「もったいない」の読み違い
あっという間になりを潜めてしまった“誤表示”問題ですが、いやあ、日本人は相変わらずブランドに弱いものだナと、しみじみしてしまいました。高いお金を払っているからホンモノだという思い込みに、見事に冷や水を浴びせかけられましたね。でも、こっそり言えば、あからさまになっていないだけで、どこでも少なからずやっていることだと思っていました。
日本人は「もったい ない人種」ですから、無駄をなくすためになんとかしようとする”企業努力”を、日夜怠るはずがないじゃないですか。糾弾されるべきは偽装(誤表示なんて表現は生ぬるいですね)したことで、そうでなければ反対に感心なことでしょう。
特にホテルのレストランなどは普通の食堂と違って、いつ誰が来てくれるかわからないし、どんな料理がどれだけ出るかわかりません。マネジメントが大変なことは、みなさんもたやすく想像がつくでしょう。メニューに記載してあるのに、「あれもできない」「これもない」というわけにはいきませんよね。5ツ星クラスでそれをやったら5ツ星の価値などないのです。
最近では、こうしたロスをなくすために、ファインダイニングを持たず、オールデイダイニング一本で勝負するホテルチェーンも出てきました。ロスを出すくらいなら、ゲストの外食大歓迎というわけです。もしくは、いわゆるお任せメニューにして「今日はこれとこれ!」「限定10食のみ」で勝負するホテルも出てくるかもしれません。
高いお金を払うことがステータスではない
とかく疑り深くない日本人は「高いモノ=いいもの」と勝手に思い込み、無批判になってしまいがちです。大切なのは何でもアリアリな世界基準に準じて、物事を客観的に見ることです。同じ5ツ星ホテルだって、人によって評価は異なって当然のはず。絶対ということはありません。
ところが、中には高いお金を払うことがステータスだと盲信し、自分が認めた「いいモノ」を批判されるとムキになる人もいるんですなあ。世界は広く、多様な価値観に満ちています。思考を柔軟にして物事の本質を見る目を持ちましょう。
たとえば海外ホテルに滞在した時、チップひとつで悩みに悩むのが、日本人思考の生真面目さというか窮屈さの典型的な例でしょう。これだけ海外旅行が身近になっても、いまだに「チップはいくらあげればいいのですか?」「相場はどのくらい?」といった質問は絶えません。私に言わせれば、チップなんて悩むほどのことではないのですがねえ。
チップに相場はありません
チップとは、アメリカにおいては労働対価としての義務ですから、最低でも15%以上と決まっていますし、その額も物価や給与水準に比例して年月と共にアップしていきます。だったら単純にその額を払えばいいのですよ。ハワイでチップが少ないと言われたという話をよく聞きますが、最低ラインの15%を払っていれば問題はないはずです。一方ヨーロッパでは、チップは日本人の感覚でいう心付けに近いものと思っていいでしょう。
だとすれば、そこに相場などありませんよね。自分が受けたサービスの 価値が1ユーロだと思えば1ユーロでいいし、10ポンドだと思えばその分あげればいい。日本で旅館の仲居さんに渡す心付けのことを考えてみてください。なぜ海外ではたった1ドル、たった1ユーロ多く払うのをためらうのか……。もっと気楽に渡せばいいじゃないですか。
本当のお金持ちはチップの金額が違いますよ。ビバリーヒルトンでミリオネアの友人が、ヴァレットで車を回してもらっただけで15ドルも払うのを見て、私は驚きましたねえ。それくらいのサービスなら5ドルで十分でしょ、と思うのが私の感覚(笑)。しかし友人にしてみれば、そういう振る舞いの積み重ねこそが、彼のステータスをつくるんですな。
日本ではこうした習慣はありませんし(ごくごく限られた部分ではありますが)、日常で直面することもない。だから、たかだか1ドルのチップでも多いか少ないか実に生真面目に悩む・・・。少ないと思ったら多めに渡せばいいんです。もし手持ちがなかったら、「ゴメンね、今細かいのがないんだ」と謝ってしまえばいい。そういう柔軟性が日本人には足りないのではないでしょうか。
日本的思考の背景にあるもの
思うに、日本の海外旅行が1970年代から始まったツアー文化によって発展してきたことも、フレキシブルでない思考を生んでしまっている原因かもしれません。ツアーなら旅行会社におんぶにだっこで、客は何もしなくてもいい。サービスという名の下に、自分でものを考え、何か行動をしなければいけない場面がすべて排除されている。よって海外旅行といっても限定された範囲の経験値しかないため、何十回行っても自分では何もできないままなのであります。
わかりやすいところでは、スーツケースを運んでもらう際には、1個1ドルでいいと教えられます。本来はホテルのクラスや荷物の個数・内容によって、支払うチップに幅が生じるはずです。ところが日本にはその類のチップの習慣がありませんし、旅行会社はなるべく客の負担を少なくしたいと考える。従ってより少ない金額を採用し、客にそう「教育」してしまいます。
チップひとつにしてもさまざまな背景があるのに、どこでもこうしたワンパターンな日本式で押し通す。それゆえ、「日本人はケチだ」という摩擦や誤解が生まれるのです。困るのはトラブルを起こした本人たちは気がついていないこと(苦笑)。とばっちりを受けるのは、後続の我が同胞なのです。
旅を通じて異文化リテラシーを高めよう
それに気づいてしまい、思い悩んでいる人はどうしたらいいのか。これはもう、ケーススタディしかありません。個人旅行の価値とは、こうした文化の違いを身をもって体験できることです。黙っていても添乗員がしてくれることを、すべて自分で取り仕切る。どんなサービスが自分に合っているか、何が自分にとって快適かを考えてホテルを選ばなければいけませんし、その中には当然チップの払い方も含まれます。こうした面倒が個人旅行の試練ですが、それ以上にさまざまな「目からウロコ」の経験ができることでしょう。
だからといって、ツアーはダメだというわけではありませんよ。個人で行こうと思うと渡航手続きなどがとてつもなく面倒だしお金がかかるけれど、ツアーなら安心・安全に連れて行ってもらえるという場所が、世界にはたくさんあります。また体力的にも精神的にも、人任せであれこれ考えなくてもいいという点がありがたいという人もいるでしょう。
理想的なのはツアーと個人旅行を上手に使い分けること。個人旅行では自分の思考や経験を磨き、個人の力の及ばない旅はツアーを利用すればいいのです。ただ、ある程度自分でノウハウを蓄積しておかなければ、使い分けも難しいかもしれませんが‥‥。
社会の多様化に伴い、あらゆる選択肢も豊富になりつつある今日、旧態依然とした思考のままでは、日本や日本人の本当の素晴らしさを世界にアピールすることはできません。海外旅行はツアーでも個人でも、もう一歩踏み込んで自分で考え、異文化リテラシーを高めて五感を鍛える。そうした思考こそが、どんな場所や機会にも柔軟に対応できるスマートトラベラーに必要なのではないでしょうか。
ロンドンで旬の白トリュフを堪能!
今年はトランジットも含めロンドンを訪れる機会が多かったのですが、最後の訪問でその白眉ともいえる食体験をしました。現地の友人が「ぜひに!」と連れて行ってくれた「カンティーナ・デル・ポンテ(Cantina del Ponte)」。タワーブリッジを望むテムズ川沿いという、実にロマンティックなロケーションにある、映画「ブリジット・ジョーンズの日記」にも登場したイタリアンレストラン。プロデュースはかのコンラン卿であります。
私たちが舌鼓を打ったのは、解禁になったばかりの白トリュフ。目玉焼きにたっぷりとトリュフが載った前菜からして悶絶するほど美味でしたが、プリモで供されたトリュフがけのタリオリーニは、我が人生最高の一皿! ハンドメイドの麺に絡むトリュフの馥郁たる香りと歯応えといったら……。これでもかとトリュフを使ってのこの一皿、一人20ポンドと日本では信じられない価格にも胸打たれました(笑)。これまたリーズナブルながらレベルの高いワインとともに、ランチを楽しむこと3時間。私はその足で帰国の途についたのですが、飛行機のシートに収まるやいなや熟睡し、目覚めたのは着陸1時間前。至福のランチがフライトまで極楽にしてくれたようでした。