— 様式が生まれる歴史的背景 —
〜価値観の大転換時代に生まれた正統派への回帰〜未曾有の大転換時代
歴史の中で、天と地がひっくりかえるような大きな変化 ── 例えば昨日まで神様だと教えられていた人物が実は人間だったり、童話「眠り姫」に出てくるような手回し式の糸紡ぎ機から、何百倍も効率の良い水力紡績機になったり、国王をギロチンにかけて昨日まで虐げられていた市民が天下を取ったり ── そういう世の中の根本的な枠組みの大転換時代 が、いくつかあります。
18世紀の後半から19世紀にかけては、まさにそんな未曾有の大転換期でありました。そのいくつかを下記に挙げてみましょう。
アメリカ独立宣言 | 1776 | 植民地から独立国へ |
フランス革命 | 1789 | 王制から共和制へ |
産業革命(英) | 1768 | 手作業から機械化へ |
ナポレオン帝政 | 1804 | 共和制から帝政へ |
立憲君主制(仏) | 1830 | ナポレオン失脚→王制復活 →七月革命 |
第二共和制(仏) | 1848 | 立憲君主制→体制への不満 →二月革命 |
第二帝政(仏) | 1852 | 第二共和制で大統領に選ばれたルイ・ナポレオンが皇帝(ナポレオン三世)に |
「ナポレオン帝政」以降は、フランスを中心に取り上げていますが、わずか100年たらずの間にこれだけの変化が起きた時代であったということがおわかりいただけると思います。
「大貧民」と「大富豪」がころころ入れ替わるゲームのように、世界中で“昨日の常識が今日の非常識”となる事態が相次ぐ中、究極の混乱の中で、破壊と再構築の試みが続きます。
やがて貴族の時代は終わりを告げ、産業革命によって生み出された「中産市民階級」(いわゆる「ブルジョワ」)が力を蓄えて、政治・経済・文化の牽引車となっていきます。貴族趣味の極致であったロココ様式が、そんな体制、そんな時代に生き伸びるはずのないことはあまりにも明らかです。
ブランデンブルク門(ベルリン)かつては分断の、そして現在は統一ドイツの象徴であるこの門は、ギリシャ(ドーリア式)様式のクラシックリバイバル。
考古学の進歩と古代研究の進化
この時期、興味深い「偶然」がいくつか重なってきます。ひとつは、火山の噴火で埋まったポンペイ遺跡(古代ローマ様式)の発掘がイタリアにおいて1748年に始まったことです。
ドイツでも特筆すべきことがあります。美術史の研究家が、古典研究の本格的成果を世に問うています。18世紀後半、ヴィンケルマンが著した名著『ギリシャ芸術模倣論』と『古代美術史』です。
ポンペイの遺跡 古典再評価のきっかけとなった
さらにイタリアでは、異才版画家ピラネージが現れ、古代ローマの風景をデフォルメしたり再構成したりしつつ、生き生きとした魅力的な作品を発表します。
こうして、価値観がめまぐるしく変わる混乱の時代に、“超貴族趣味的”ロココへの批判や正統派への回帰嗜好、古代建築に対する研究の進化/深化などを背景に生まれたのが「新古典主義(クラシック・リバイバル)」でした。
— クラシック・リバイバル様式の特徴 —
〜ギリシャ、ローマ古典の再々発見〜
新古典主義様式は、ギリシャ、ローマの古典の再発見がもとになります。
「ちょっと待て、それはどこかでそんな時代が・・・」そう、遡ること約4世紀、ルネサンスもまさにそんな古典の見なおしというところからスタートしています。
ただし、この時代とルネサンス期との違いは、情報量の格段の豊かさでした。数多くの研究書、旅行記、版画集が世に出回り、蓄積されています(旅行も非常に容易になっていたようです)。
先のヴィンケルマンは、ギリシャ芸術の本質を「高貴な単純さと静謐な偉大さ」と表現しています。“耽美的/爛熟的/退廃的”ロココとは、180度対照的な世界です。
様式の呼び方について
様式の説明として「クラシック・リバイバル(Classic Revival)」という言い方と「ネオ・クラシシズム(Neoclassicism)」という言い方とがあり、2つは微妙にニュアンスがちがいます。ただ、新古典様式の中心であるギリシャ様式の復興を表現する時に、「グリーク・リバイバル」様式と言うことはあっても「ネオ・グリーク」様式とはほとんど聞かないので、ここでは「クラシック・リバイバル」を採用しています。
— クラシック・リバイバル様式の実例 —
それでは建物の具体例をご紹介しましょう。嬉しいことに、クラシック・リバイバルの例には、誰もが知っている非常に有名な建物が多くあります。
(1)グリーク・リバイバル(ギリシャ様式)
大英博物館(ロンドン/イギリス)
ご存知、世界最大の博物館として年間約700万人が訪れるというロンドンの一大観光スポットです。正面から見た姿は、まさにギリシャ神殿そのもの。(設計;ロバート・スマーク、1847年完成)
大英博物館
マドレーヌ寺院(パリ/フランス)
当初はナポレオンの軍隊のための神殿として作られました。コリント式のリバイバルです。(設計;ピエール・ヴィニョン、1842年の竣工。)
マドレーヌ寺院
(2)ローマンリバイバル(ローマ様式)
エトワール凱旋門(パリ/フランス)
ローマ趣味のナポレオンの意にしたがってつくられました。しかし完成したのは30年後、ナポレオン失脚の後でした。(設計;フランソワ・シャルグラン、1836年完成)
エトワール凱旋門
さて、「狭義」の新古典主義様式はここまでです。西洋人にとっては、「古典」とはギリシャとローマなのです。ですから、以下は新古典様式の範疇に含めない考え方もある、ということを踏まえてご覧いただきたいと思います。
(3)ゴシック・リバイバル
※「ゴシック復興様式」の英語での呼び方については、「ネオゴシック」も「ゴシックリバイバル」も同じ位使われています。
英国国会議事堂(時計塔;ビッグベン)(ロンドン/イギリス)
設計;チャールズ・バリー、竣工1860年代。
英国国会議事堂(時計塔;ビッグベン)
セントパンクラス駅(ミッドランドグランドホテル、ロンドン)
設計;ジョージ・ギルバート・スコット卿、1871年竣工。(撮影:筆者)
大英博物館
市庁舎(ウイーン/オーストリア)
リンクシュトラーセから豊かな前庭を控えてそびえています。設計;フリードリヒ・シュミット、1883年竣工。
ウイーン市庁舎
(4)ネオ・ルネサンス
これに関しては、残念ながら皆さんがご存知のような有名な建物がないので、省略します。
(5)ネオ・バロック
オペラ・ガルニエ(パリ/フランス)
コリント様式の列柱とアーチをもつ、重厚できらびやかな建物。(設計;シャルル・ガルニエ、1875年の竣工。)
オペラ・ガルニエ
いかがですか?今までに出てきた俳優たちが勢ぞろいする、芝居のカーテンコールのように、次々と過去の様式が「○○○リバイバル」「ネオ○○○様式」というかたちで登場してきたのがこの時代です。