— 様式が生まれる歴史的背景-1 —
〜 「アトム」から「ドラえもん」へ 〜
「アポイント? サマリー? スペック?・・・なんでもかんでも外来語を使えばカッコいいと思って・・・。日本人なんだから、日本語を使いなさいよ」という(たいていの場合シニア・シチズン[高齢者]からの)ご意見。
「なるほどおっしゃる通り」ということもありますが、その一方で「カメラは<写真機>でいいかもしれないが、じゃあテレビは? ミシンは?」などと突っ込みを入れたくなります。
「現代様式(モダンスタイル)」の次に発生したこの「ポストモダン様式」を無理に和訳しようとすると(今まで誰も公にそんなことを試みてはいないようですが)「脱現代様式」!? 「現代後様式」!?・・・テレビやミシンの和訳と同様、無理に日本語にしないほうが分かりやすい類(たぐい)のもののようです。
さて、モダンからポストモダンへの変化をロボットに喩(たと)えると、「鉄腕アトム」はモダンエイジのロボットでした。ロボットとしての傑出した能力を、常に「襲いかかる悪との戦いのため」「窮地に陥った善人を救うため」に使ってきました。言い換えれば、この時代“正義の業務”以外にアトムが出動することはなかったのです。
これに対して、「ドラえもん」はポストモダンエイジのロボットと言えるでしょう。時代背景として技術革新が一巡し、電子文明が成熟した時代に登場しました。
ですから彼のロボットとしての超能力は「どこでもドア」や「竹コプター」のような、やや実用的なものを越えたところに真骨頂があります。それ以外のバラエティ豊富な目くるめく多機能は、ほとんどが“正義の用途”という肩に力が入ったものではなく、ゆとりの部分で“楽しくするために、遊びに使われる”超能力でした。機能主義的でないところがまさにポストモダン的でありました。
新しい様式の発生のきっかけは、ここまで様々な様式の誕生をたどってきたあなたには既におわかりのように、その時代にあまねく行き渡った様式に対する反発、反動、反作用といったものでした。モダンからポストモダンが生まれるのも例外ではありませんでした。
— 様式が生まれる歴史的背景-2 —
〜 「モダン様式」への反動 〜
モダン様式:「Less is More.」
モダン様式の教条フレーズは、建築家ミースの唱えた「Less is More」でした。即ち、「一切の装飾的要素を取り払って余計なものを省いた状態(Less)は、逆に強い印象、訴求力を持ちうる(More)」というものでありました。
モダン様式は、その目新しさとともに鉄・アルミ・ガラスといった新しい建築材料との相性の良さとあいまって、20世紀前半、燎原の火のように世界中に広がります。
その結果、モダン様式の超高層ビルの建てこんだ中心市街地は、看板の文字を隠すとアジアなのかヨーロッパなのかカナダなのかオーストラリアなのか分からないような状態になっていました。モダン建築は装飾性と同時に地域性のベールも脱ぎ去っているからです。
ポストモダン:「Less is bore!」
一時は世界中の建築家も評論家も信じて疑わなかった「Less is More」について、異を唱え始める動きが、モダン建築が最も発達したアメリカで起こります。
建築作品「母の家(Vanna Venturi House)」や著作『建築の複合(多様性)と対立』『ラスヴェガスに学ぶ』等で知られる建築家、ロバート・ベンチューリは、巨匠ミースの残した格言をもじって「Less is bore」と表しました。これがポストモダン・ムーブメント(広範な創作活動)を的確に説明するキーワードとなりました。「やっぱり何にもないのは退屈だ」というわけです。
時間軸にそって建築様式をたどって来られた方には既にお分かりのことと思いますが、「建築様式の歴史」とは、すなわち「建築的装飾の歴史」でありました。時代時代によって実に様々なスタイルが生まれ、滅び、そしてあるものは伏流水となって、時を経た後世に再び顔を現わすこともありました。
モダン様式(国際様式)の隆盛から約30年後、その反動がやってきた時に、アールヌーボーやアールデコに戻るかというとそうではなく、バロックやロココでもありませんでした。ここで登場したのが、ギリシャ・ローマ様式を蘇らせた「ポストモダン」です。
— ポストモダン様式の特徴と実例 —
ギリシャ・ローマの様式(西洋人の心には傑出した“永遠の古典”として刷り込まれている)は、14〜15世紀にルネサンス様式で甦り、19世紀にはネオクラシズム(新古典主義)として再生、そして20世紀の後半には三たびポストモダンとして新たな生命を獲得することになります。
話が飛びますが、車のデザインにしても同様です。丸みを帯びたデザインが発表され、一通り世の中を席捲したあと、しばらくすると目新しさを求めて(狙って)角型のデザインが登場し、また数年〜十数年してまた丸っこいデザインが・・・という繰り返し。しかし、循環的な変化は、反復しているようでいて実は同じ平面に戻ってくることはありません。今日の車のデザインは、1960年代のものとは明らかに別次元の丸味デザインなのです。
30年前に流行ったお母さんのミニスカートやベルボトムのジーンズを、今、娘さんが身につけたらどこかが違うというように・・・。
建築の話題に戻りましょう。
カーデザインや女性のファッションについての説明で述べたように、ポストモダン紀のギリシャ・ローマの復活は、ルネサンスの頃とも新古典主義の頃ともやはり異なっていました(異なっていないといけなかった、のです。時代を超えた差別化戦略と言えるかもしれません)。
ポストモダン紀におけるギリシャ・ローマの復活(時にゴシックやルネサンスの復活もありました)は、部分的な「引用」という形をとることが多かったのです。モダン様式をベースとして、古典のモチーフを拡大して、デフォルメして引用し、建築の表層に三次元スクラップを行う・・・そういうかたちのものが少なくありませんでした。
ポートランド(米オレゴン州)市庁舎/マイケル・グレイブス
米人建築家・マイケル・グレイブスは、ポートランド(米オレゴン州)市庁舎外壁にギリシャ様式風列柱のポップな翻案のグラフィック的処理を施し、コントラストの効いた彩色と先の柱頭部分を横に繋ぐギフトリボン状飾りをつけて、世間をあっと言わせました。1980年のことです。
外壁が特徴的なポートランド市庁舎
AT&Tビル/フィリップ・ジョンソン
一時、モダン様式の旗手でもあったフィリップ・ジョンソン(日本で言えば丹下健三と同世代)は、マンハッタンの超高層(AT&Tビル)の頂部に、ホール用置時計(グランドファーザークロック、平井堅の「♪大きなのっぽの古時計・・・」のあれです)によくあるようなブロークン・ペディメントを載せました。
※ブロークン・ペディメント: 破れ破風、後期ルネサンス=マニエリスム時代の特徴の一つ。横浜の開港資料館の玄関上部にも見られます。
AT&Tビル
つくばセンタービル/磯崎新
磯崎新は、つくばセンタービルで、ミケランジェロ作の広場の石材による舗装パターンやルドゥー作の王立製塩工場(18世紀作品、ユネスコ世界遺産、@フランス・アルケスナン)の柱を引用しています。
つくばセンタービル
磯崎新は、つくばの設計の際に、自らを「分裂症的折衷主義」と表しましたが、“偽悪的に自分では言うが、他人から言われたら殴り合いになる”たぐいの危うい要素を持った表現です。
東京都庁舎/丹下健三
磯崎の師匠である丹下健三は東京都庁舎の設計コンペで、そのシルエットをパリのノートルダムに求めています。これも広義のポストモダンです。
— まとめ —
〜 余裕から生まれた新たな装飾 〜
ポストモダニズム建築の外見上の特徴をあげてみましょう。
1. 現代建築に歴史的様式のデフォルメによるスクラップを施したもの。
2. 従来の建築にはなかったポップでキッチュな要素をコラージュしたもの。
(この項、「何言ってんだか、わかんないぞ!」という声も聞こえてきそう)
3. この様式に多い色のイメージ、赤茶と緑青色のコンビ。
4. 円、円弧、単純な三角形モチーフの採用。
テクノロジーに余裕のある時代の、新しい装飾的要素の模索のひとつの入り口である、とまとめておきましょう。