1887年に、たった10室のみの小さなホテルとしてスタートしたラッフルズ。バンガローを改装したおかげで、当時の通り名は「ビーチハウス」。オーナーはアルメニア人であるサーキーズ家の兄弟でしたが、彼らはここを欧米人の在住者や旅行者のための社交場であることをキッパリと名言。当初からそのスピリットはコロニアル的なものだったようです。その方針が当たったのかどうか、このホテルはたった12年で「東洋随一」の名声を勝ち取るにいたります。それが1899年のこと。現在も受け継がれている白亜の壮麗なコロニアル様式の建物が完成したのもこの年でした。
そんなラッフルズの黄金時代は、サマセット・モームやジョセフ・コンラッドといった著名人ゲストを迎えてきた1920年代後半。第2次世界大戦中は日本軍に接収されましたが、戦後、新しく経営者になったマレーシア人バンカーの意向による東洋系富裕層の受け入れなどが、従来のコロニアルムードと見事な相乗効果を生み、再び東洋どころか世界でも指折りの名門として君臨します。そして100周年となる1987年には国の歴史的建造物に指定。その2年後には長期休業による大改装を行いましたが、開業当時の調度品や備品などはそのまま残され、外観も黄金の20年代の姿を完璧に再現したのでした。
客室はすべてスイート仕様。重厚感あふれる家具やカーペット、柔らかな間接照明、そしてどこかロマンティックなムードは、まさに「夢のホテル」。中でもゲストしか入ることができないパームコートに面した客室は、観光客で賑やかなロビーやダイニングエリアとは別世界の趣があります。ところで、激動の歴史を送ってきたラッフルズですが、またもや新たな局面を迎えようとしているようです。2011年、経営権がカナダのフェアモントグループからカタールの投資会社へと移譲、それにともないショッピングモールを一部閉鎖し、新たに80弱の客室を増設することが決まったのです。ラッフルズはどう変わるのか、それとも変わらずにいられるのか。いずれにせよ「今のラッフルズ」が体験できる時間は、あとわずかといえそうです。
テレビコマーシャルにも登場し「本当にあんなホテルがあるの?」と話題を呼んだ、2010年4月オープンのマリーナベイ サンズ。3つの高層タワーの屋上に巨大な船が乗っかったような奇抜なデザインは、CGだといわれても納得してしまうくらい、非現実感が漂っていました。ホテルのシンボルともいうべきこの部分は「サンズスカイパーク」と呼ばれる、長さ340メートルの空中庭園。ジャングルのようなグリーンの中に約150メートルのインフィニティプールやデッキ、ダイニングなどが配置され、屋上だけで3900人あまりが収容できるのだとか! こんな長い屋上プールはもちろん世界一。プールの中からの眺めは、もう絶景と言うほかありません。
さらには3つのビルに振り分けられた客室は総数2500、ダイニング50余店、「ルイ・ヴィトン・アイランド」を筆頭とした世界のハイブランドがひしめく、屋内スケートリンク併設の巨大ショッピングモール、シルク・ド・ソレイユが登場する全4000席の2つのシアター、そして地下には目もくらむような巨大カジノ・・・と、どこもかしこもレコードづくしのマリーナ ベイ サンズは、エンタメ系ラグジュアリーホテルの最高峰といったところでしょうか。高額な室料にもかかわらずオープン以来人気はとどまるところを知らず、カジノホテルでありながらギャンブルには全く興味のないファミリーゲストにも「泊まってみたい!」と熱い視線を送られています。
ホテル自体はカジノ客をメインにしたサービス体制になっているため、リゾート気分で出かけるとやや不満を感じる部分があるかもしれません。しかし館内にいるだけで食事も買い物もエンターテインメントも、すべて満足できるとなれば、手のかかる子供連れにはとりわけ願ってもない存在でしょう。客室はローカテゴリーのアトリウムルームでも広々とした空間があり、バスルームもゆったり。ここは22階以下とパノラミックな景観とまではいきませんが、その分館内各所へのアクセスに便利と、どのカテゴリーを選んでも「なるほど」というポイントがきちんと押さえられています。まだまだ話題のぶっとびホテル。いますぐ出かけてみませんか?
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