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立派な日本人であるために
みなさん、明けましておめでとうございます。今年こそは景気が上向き、誰にとっても晴れやかな年になるといいのですがねえ。しかしいくら不況だといっても、世界情勢や技術革新は、今後もドラスティックに変化していくことでしょう。そんな中で私たち日本人が決して忘れてはならないこととはいったい何なのか……。今回は、そんなちょっぴりお説教くさい内容ですが、ほんの少しでもみなさんの心に引っかかれば幸いです。
自分もパズルの一部である
以前目にした林真理子さんエッセイに、以下のような一説がありました。「私はいつも考える。美しく整えられた場所、たとえば名の知れた旅館やホテ ルに泊まる時は、自分もこの心地よい光景をつくり上げる一員であることを。ジグソーパズルのピースのように、素敵な場所は、素敵な客によって初めて完成するのだから。」(家庭画報2012年2月号「名宿への装い」より)
林さんは、パリのラグジュアリーホテルに泊まった際、いつもジーンズでいる友人に「ここではふさわしくない」とたしなめ、また彼女自身も名旅館と呼ばれる場所に投宿する時は、服装を考え、建物に敬意を払い、立ち居振る舞いにも気を配っているとのこと。私は一読してひざを打ちましたねえ! そう、私がいつも申し上げているのは、そういうことなのです。
厳然とある「そういう場所」
お金を払っているのだから、どんな場所でも自分の好きなようにしていて何が悪い。なぜゲストの方が気を遣わなくてはならないのか……。そう思われる方もいらっしゃるかもしれませんね。しかし、ひるがえって考えてみましょう。もし外国から日本にやってきた旅行者が、格式のある料亭にタンクトップやビーチサンダルで現れたり、寺院仏閣で大声で談笑したり写真をバシバシ撮り合ったりしたら、あなただって眉をひそめるのではありませんか? 「ここはそういう場ではないのに」と思いますよね。同様に海外、特にヨーロッパにも「そういう場所」が厳然としてあるのです。
競馬場、オペラハウス、高級レストラン、そしてラグジュアリーホテル。これらはみな、かつて貴族や富裕層の社交場として機能していた場所であり、選ばれた人々のみが出入りを許されていたのであります。故に、そこには暗黙のルールやマナーがあり、「その場所にふさわしい振る舞い」が求められるのです。それを知らない「成り上がり」が足を踏み入れた時の、慇懃無礼かつ辛辣きわまる応対は強烈です。映画などでもよく見られるシークエンスですよね。
情報の革新と進化がもたらしたもの
時代は進み、革新的なテクノロジーの普遍化により世の中は万人に平等に、そして圧倒的に便利になりました。グローバリゼーションこそが是とされ、優先されるのは市場原理という現代。日本もバブル時代がエポックとなり、世界に冠たる経済大国の地位を築くに至りました。その進化と変化は私たちの生活を豊かにし、情報や選択肢はあらゆるところに満ちあふれています。「一生に一度は」の特別イベントから、誰もが手軽にできるリラクゼーションのひとつになってしまった海外旅行が、その象徴かもしれません。そして、もはや行けない場所など数えるほどしか残っていないのです。
私自身は、グローバリゼーションに関しては、どちらかというと「否」の立場であります。世の中はフラット化し情報は氾濫しています。故にそこに行って、そこにしかないものに出会う、そこだけのものを得る、そういう興奮や喜びは確実に少なくなりました。今の若い世代に、異文化交流に対する興味が薄いというのも、その証左でしょう。わざわざ時間とお金をかけて出かけていかなくても、大画面ハイビジョンで臨場感あふれる映像を見ることができるし、ネット販売でほしいものもすぐに手に入るのですから。
グローバリゼーションの功罪
今の若者は進化した情報ツールの功罪のvictim「犠牲者」のような気がします。昔は何もかもが不便でしたから、その分夢を見、努力し、苦労して手に入れていました。 しかし現代は、不便や努力をなくそうとするが故に、さまざまな事柄のライフスパンは短くなり、すべてがイージーになっています。よって苦労する必要がない。でも、すぐできることはすぐ飽きる。こだわりは希薄化し、興味や思いも継続しない。苦労して何かを達成する喜びは、遥か彼方に……なのであります。
また、昨今の「より廉価なものが市場を制する」風潮にも、首を傾げざるを得ません。とにかく安ければいいという考えは、その国のオリジナリティやそれを源泉とし継承してきた文化を確実に破壊し、敬意を失わせてしまいます。そう、スマホは確かに便利です。旅先にはこれ1台で事足りてしまうと言うのは、重い思いをしてパソコンだのを持ち運んでいたことを考えれば、隔世の感があります。しかし、たったひとつの機種が全世界のメジャーシェアを得ているというのは、冷静に考えたら、やはりちょっと異常ではありますまいか。全人類が、たったひとつの事柄に収斂していくのは、やや尋常ならざる感を得るばかりです。
日本人が失った「いかがなものか」の精神
豊かで、便利で、平等の世の中。素晴らしいことです。しかしその一方で、そうした美辞麗句のもとに失いつつあるものがあります。日本人が大切にしてきた美徳です。たとえば「謙遜」、たとえば「寛容さ」、たとえば「分相応」。自分が何かをする時に、これでいいのかと常に自問自答をする。努力をする。恥をかいて苦労もする。そうした経験の積み重ねが、個々の教養となり、また深い思索と立ち居振る舞いに結びついてきたはずです。どこに出ても恥ずかしくない「大人」の振る舞いの原点は、ここにあります。
そして日本には、いつの時代も「いかがなものか」と、大勢の意見に異を唱える人がいました。ちょっと待てよ、もう一度よく考えてみたらどうか。それは本当に正しいのか? そんな、いわゆる一言居士の言葉にはっと我に返り、時に恥じ入って、道徳をわきまえてきたのが私たち日本人でした。
日本人の美徳を取り戻そう
その昔、フランシスコ・ザ ビエルがローマに送った報告書には、日本人についてこう書かれていました。「この国の人々は今までに発見された国民の中で最高であり、日本人より優れている人々は異教徒の間では見つけられない。彼らは親しみやすく、一般に善良で、悪意がない。驚くほど名誉心の強い人々で、他の何ものよりも名誉を重んじる。大部分の人々は貧しいが、武士も、そういう人々も貧しいことを不名誉とは思わない。」
中国、アジアが力強く台頭してきた今、世界中の人々に「やはり日本人は立派だな」と敬意を表してもらう。それは、海外高級ホテルでの過ごし方のように、身近なことからでも始められると思います。ただ大金を払って泊まるだけではダメなんです。きちんと周囲を観察し、自分がどうあるべきか、何を望まれているかを把握し、教養ある大人としての立ち居振る舞いをする。相手の立場を思いやり、心胆寒からしめるような態度やクレームを慎む。ひとりひとりの真摯な態度が、日本人の評価につながっていくことを、どうぞ肝に銘じて、日本の「富国有徳」の礎となっていくことを自覚してください。私も、いくら煙たがられても化石化する一言居士でいようと思っております。
花鳥風月/ロングステイに興味がありますか?
旅行スタイルや人気デスティネーションは時代と共に変化していきますが、比較的ご年配の読者のみなさんのお便りからは、相変わらずロングステイへの関心の高さがうかがえます。私も本年は、このコラムでロングステイについても本格的に取り上げてみようと考えております。そこで、みなさんからもロングステイに関する「知りたい」「聞きたい」ことを大募集! 基本的な疑問から、不安を感じていることや具体的なノウハウまで、みなさんのリアルな声をどしどしお寄せください。またロングステイ経験者のご報告も大歓迎。さまざまな角度から、本気でロングステイを考えている方の役に立つ情報をお届けいたします。ご期待ください&本年も「おいしい旅の話」をよろしくお願いいたします。