ロマネスク様式

戦乱の中世ヨーロッパで生まれた、修道院や教会のための様式。巡礼路沿いに発展。

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ロマネスク様式を学ぶロマネスク様式を取り入れたホテル

— 様式が生まれる歴史的背景 〜戦乱の時代に救いを求めた、巡礼者たちのための建築〜 —

城壁の街オビドス

城壁の街、オビドス(ポルトガル)
イスラム教徒の襲撃から街を守るため城壁が築かれた。

ヨーロッパの中世はゲルマン民族の大移動に始まります。

4世紀後半、中央アジアの遊牧民フン族(一説には匈奴とも)の移動により玉突き衝突のように次々と起こった大移動は、ヨーロッパ全土に及んで多数の民族の移動を同時多発的に引き起こし、その波はイベリア半島にまで波及します。

その動きに誘発されるように、395年、ローマ帝国が東西に分裂。さらに続くゲルマン民族の侵入などにより、分裂から約100年後の476年には、西ローマ帝国は滅亡します。その後にはいくつかのゲルマン王国が作られましたが、中でも481年に成立したフランク王国は特に有力で、こうして後のフランス、ドイツ、イタリアの原形が形づくられていきます。

一方アラビア半島では、メッカ出身のモハメッドが7世紀初頭にイスラム教を興すと、勢力を急速に拡大、そのわずか1世紀後には中央アジアからイベリア半島に至る巨大な帝国を築き上げます。

こうして8世紀初頭、世界は西ヨーロッパと東ローマ帝国(ビザンティン)、そして巨大なイスラム帝国という「三極構造」になります。

イベリア半島の大部分をイスラム教徒に占領されたキリスト教徒は、国土を取り戻すための戦い(レコンキスタ)を開始。伝説では、722年、コバドンガの戦いにおいてキリスト教徒がイスラム教徒に打ち勝ち、レコンキスタが始まったとされています。

ちょうどそんな折、聖ヤコブ(キリストの十二使徒の一人、スペイン名サンチアゴ)の遺骨がスペインの北西端の寒村コンポステラで発見されました。この大発見にちなみ、その地に遺骨を安置するために大聖堂が作られると、白馬にまたがって教徒を導く800年前の聖者サンチアゴの勇姿を目撃したという者が続出。

その噂はイスラムの脅威におびえるヨーロッパ中に広がり、サンチアゴ・デ・コンポステラは、またたくまに東のイエルサレムと並ぶ西の聖地となりました。

異民族との戦い、異教徒との戦い、戦乱に明け暮れた中世のヨーロッパでは、救いを求め、この西の聖地に遠くフランス、ドイツ、イギリスからも巡礼が訪れるようになります。フランスからピレネーを越えてサンチアゴに至る複数の街道は巡礼路となって、沿線にたくさんの町や教会、修道院が作られました。最盛期の巡礼は年間50万人。

ロマネスクの建築はそんな時代に作られたものです。

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— ロマネスク様式の特徴 〜厚い石壁に小さな窓、あくまで禁欲的〜 —

ある建築様式を説明するのに、例えば「パリのノートルダムのような」とか「アテネのパルテノンのような」といった誰でもその名前を聞いたら、その形が思い浮かぶような有名なモニュメントがあればよいのですが、残念ですが一般に親しまれているモニュメントがほとんどないのが、このロマネスク様式なのです。

なにしろ芸術や建築どころではなかった暗黒と混乱の5世紀〜10世紀を経て迎えたロマネスク時代。この11世紀〜13世紀は、巡礼路の各地に盛んに修道院が作られた時代です。

修道院とは本質的には、俗世間と離れた場所で若い修行僧が禁欲的な生活をする場でありました。ですから、そのような場所は街の中ではあり得ず、食料を自給する森の中の空地や谷の奥、山頂(天に近い)、川べりといった、いわゆる 僻地(へきち)、あるいはそれまでは歴史に登場することのなかった田舎町が選ばれています。このため、一般市民にはわかりにくかったのがロマネスク様式とも言えます(数少ない例外はイタリアのピサの聖堂)。

この時代の建築は、格別に際立った“技術革新”はありません。修道院や聖堂の平面形はバシリカ(古代の集会施設。裁判所や商業取引所に利用された)の建築様式を踏襲する、長方形スタイルとそのアレンジが主流です。以下に、いくつかの特徴をあげてみましょう。

(1) 交差ヴォールト

身廊の天井は、ローマ時代には木造で水平に作られることが多かったのですが、この時代には、石で構成されたトンネル型のヴォールト(ローマの項参照)形式の天井。それに横断アーチが伴うもの、ヴォールト同士が交差する「交差ヴォールト」も一般的になります。

円筒ヴォールト/交差ヴォールト

a)が「ヴォールト」です。(ローマ建築の項もご参照下さい)
b)のようにヴォールト同士を直角に交わらせると「交差ヴォールト」になります。交差部分をなどを見ると、ローマ建築時代の単純なヴォールト(a)よりも、いっそう高度な建築技術であることがわかると思います。

交差ヴォールト

交差ヴォールトを下から見ると・・・

(2) 厚い石壁

石のヴォールト天井は、構造的に外に開きたがる力が働きます。それを分厚い石の壁で受け止めようとしていましたから、ロマネスク建築の壁は非常に厚く(1mを超えるのは珍しくありません)作られています。

パヴィアのサンミケーレ

厚い石壁に小さな窓(パヴィアのサンミケーレ)

(3) 小さな窓

ロマネスクの著しい特徴の三つ目は、小さい窓。このあとのゴシック建築ほど構造技術が洗練されていない発達段階ですから、非常に控えめに小さな開口部がつくられています。

(4) 半円アーチ

開口部のもうひとつの大きな特徴は半円形のアーチ。ゴシックと見分ける一番の特徴がこの半円アーチです。

(5) 独特の柱頭

内部に入るとロマネスクは「柱頭」にも特徴があります。ギリシャ・ローマという二大古典からの逸脱とでもいうべき、独自の造形が見られます。

柱頭

独特の柱頭

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— ロマネスク様式の実例 —

それでは実際の建物を例にとってご説明することにしましょう。

(1)サンチアゴ・デ・コンポステラの大聖堂(サンチアゴ・デ・コンポステラ/スペイン)

なんといっても最初は、聖地サンチアゴ・デ・コンポステラの大聖堂でしょう。旧市街がまるごと世界遺産に指定されています。

サンチアゴ・デ・コンポステラの大聖堂

サンチアゴ・デ・コンポステラの大聖堂
【参考サイト】建物の拡大写真は、こちらのサイトをご参照下さい。

(2)サンテチェンヌ聖堂(カーン/フランス北部)

北フランス、カーンのサンテチェンヌ聖堂は別名「アベ・オ・ゾンム(The Abbaye-aux-Hommes )」と呼ばれ、1067年、この地を支配したWilliamとその妻マチルダによって建てられました。半円アーチと小さな窓というロマネスクの特徴がご覧いただけます。

サンテチェンヌ聖堂

サンテチェンヌ聖堂(左:外部、右:内部)

(3)ノートルダム・デュ・ポール教会(クレルモン・フェラン/フランス)

パリの南約360km、リヨンの西約150kmにあるクレルモン・フェランは聖地へのルートのひとつです。この街を代表する歴史的建造物がノートルダム・デュ・ポール教会。厚い壁、連続する半円アーチ、小さな窓(内部は薄暗いです)、独特の柱頭、とロマネスク様式のお手本のような建築です。

ノートルダム・デュ・ポール教会

ノートルダム・デュ・ポール教会
【Photo】撮影:栗田仁

(4)ケルンの聖使徒の教会堂(ケルン/ドイツ)

最後に1つ、ドイツにおける典型的ロマネスク建築をご紹介しましょう。ケルンの聖使徒の教会堂です。

聖使徒の教会堂

聖使徒の教会堂(側面図)

聖使徒の教会堂

聖使徒の教会堂

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