都ホテルとして開業して2年目(明治35年)当時の外観
平安神宮を望む葵殿のテラス(ホテルの過去の絵葉書)
館内でも風流な自然景観が楽しめる(佳水園の庭園)
現在も古都の眺望を求めて訪れる人がいる(イメージ)
日本のシティホテルの先駆け
1890年(明治23年)、京都の豪商によって築かれた遊園地「吉水園」の一角に、現在のホテルの礎となった保養施設「京都保養館」が開館しました。京の町並みを一望できる立地に琵琶湖の疎水を引いた庭園をしつらえ、茶室を配し、贅を尽くした施設が評判を呼び、1900年(明治33年)、「都ホテル」と改名して18室の客室でスタート。1906年(明治39年)にイギリスのコンノート殿下が宿泊されてからは海外での声価も高まり、以後、世界各国の国賓や要人を迎える迎賓館としての役割を担っていきます。1907年(明治40年)からは奈良ホテルを含む姉妹ホテルが開業し、国内チェーンホテルの先駆けとしても名が広まりました。
地形を活かして建てられたホテルの利点は現在も変わらず、「都ホテルから見る京都の景観が一番」と京都人に今も言わしめるほど。京都の中心、三条から地下鉄でわずか2駅の立地に驚かされます。
個人から世界に繋がるホテルの歴史
1945~1952年は連合軍に接収され、将校宿舎や朝鮮戦争の戦線から一時帰休する将兵とその家族のためのレストホテルとして利用されていました。戦後は国際会議出席者の宿舎に指定されたり、一流ブランドのファッションショーが開催されるなど、幅広い用途で活用されるようになりました。
館内には今まで訪れたVIPの写真が飾られており、その顔ぶれを見るだけで、日本の、そして世界各国の変遷をたどれるほど。その風格はまさに歴史に裏打ちされたものといえます。そして訪れた人々の歴史をも作ってきています。2代、3代続いてここで挙式された方、子供の頃に毎年夏を過ごした方など、家族の節目に都ホテルが関わっているという顧客に支えられています。昔も今も、京都人にとっては“平安神宮で式を挙げて都ホテルで披露宴を行う”のが憧れのスタイル。「地元の人々の誇りとして構えていて欲しい」という願いがホテルの支えでもあるのかもしれません。
「ウェスティン都ホテル京都」として再スタート
2002年の名称変更にあたり、大規模な改装とともにサービス面でも大きな変化が。ウェスティングループが世界で最初に始めた24時間のルームサービス、電話にある赤いボタン一つであらゆる頼み事ができるサービスエキスプレスなどを取り入れて、合理的で便利になりました。グループの指針は“お客様の個性を重視し、自発的に声を掛け、リフレッシュして頂くこと”。雨の日にバイクで到着した方から「バイクだとお客さんだと思われないこともあるのに、荷物用のタオルまで出してくれたので感激しました」とお礼の言葉を頂いたこともあるそうですが、スタッフの気配りが細やかなのは、VIPを迎えてきた都ホテルとワールドワイドな展開をしてきたウェスティンとの融合ならではと言えます。
スーペリアルームの客室(室内例)
グランドビューのデラックスルーム(室内例)
アールデコ風のモダンな内装の中華料理「四川」
洋食レストラン「グランドビュー」のメニュー例
話題のヘブンリーバス
増築や改修を重ねてきたため、客室タイプは20種類ほどもあるそう。中でも話題なのはヘブンリーバスを導入した客室。ウェスティンといえば“雲の上で眠っているような”ヘブンリーベッドで知られていますが、「いい眠りには心地よいシャワータイムが必要」という考えから、新たに開発されたものです。最大の特徴は、特製の2つのシャワーヘッドで広範囲にわたって、たっぷりとシャワーを浴びられること。ミストのような柔らかい水圧から、マッサージのような強い水圧まで、好みに合わせて調節できます。
このヘブンリーバスを導入しているのは、現時点(2010年4月)ではウェスティン都ホテル京都だけ。疲れがたまっている方や眠りが浅い方は、2つのヘブンリー体験ができるお部屋がお勧めです。
創業当時からの絶景を望むグランドビュー
もう一つ、長年の顧客にも人気があるのは、地元の人々が誇る京の景観が目の前に広がるグランドビュールーム。京都盆地を囲む山並みの緑、グレーの瓦屋根をのせた家が建ち並ぶ町並み、そして平安神宮の朱色の鳥居と南禅寺の三門が古都・京都を印象づけます。毎年お盆に行われる京都の伝統行事・大文字の五山送り火のうち、船形・鳥居・妙法も見られるため、この時期の予約は難しいそうです。グランドビュールームのある東館は全室ベランダ付き。5階のみ広いテラスとなっているため、天気のいい日はテラスで朝食をとることもできます。都ホテルが誕生する決め手となった景観を堪能するなら、このお部屋です。
レストランにも根強い顧客がついている
数あるレストランの中でも特に評判が高いのは中華料理「四川」。ランチタイムの飲茶は、約60種類の点心の中からお好きなものを選べるスタイル。2つの大きな水槽から素材を選んで、飛び切り活きのいい鮮魚を味わうこともできます。
「シェフがいないなら行かない」と予約時に確認する顧客もいるほどなのは、洋食レストラン「グランドビュー」。宮津の漁港から毎日新鮮な素材を取り寄せて、京野菜と旬の素材を組み合わせたヘルシーメニューを提供しています。シェフが心がけていることは、「料金以上に味わってもらえる料理を出すこと」。いい素材を惜しみなく、贅沢に満喫してもらいたいそうです。
古くからの顧客が多い鉄板焼「くぬぎ」では、毎月変わるシェフのオリジナルメニューに注目したいもの。新鮮なお肉だけでなく、穴子の鉄板焼やウニの天ぷらなど、ひと味違う味覚が登場します。
各レストランは毎月ホテルが決めるテーマに沿ったアレンジメニューを用意するため、何度訪れても発見があります。これが“いちげんさん”を“ごひいきさん”にする秘訣かもしれません。
当初はメインダイニングだった葵殿(ホテルの絵葉書)
一時期紛失したステンドグラス(祇園祭のデザイン)
窓からの眺めも計算して築かれた和風別館・佳水園
約50種類の野鳥が生息するという野鳥の森・探鳥路
日本の伝統美の宝庫
1915年(大正4年)に完成した葵殿は、京都を代表する国賓用宴会場として多くのVIPが交流してきました。三方の欄間にはめ込まれたステンドグラスは、当時の第一人者によって制作されたもの。1938年(昭和13年)の改修時に一部が紛失しましたが、かなり後にガラス屋さんで見つかり、戻ってきたという逸話があります。また、1959年(昭和34年)に築かれた数寄屋風造りの和風別館・佳水園は、文化勲章を受章した村野藤吾による設計。氏の戦後最大の傑作と言われ、建築を学ぶ学生さんも見学にやって来るそうです。
備品や調度品の中で珍しいのは、貴族の姫君のお遊び道具だった貝合わせの一組。制作時代やホテル所蔵となった経緯は不明ですが、貝を納める貝桶の形は江戸時代に主流となったデザインに似ています。日本の伝統美がそこかしこに見られる館内はまるで博物館。一巡りして鑑賞する楽しみもあります。
数々の贈り物もホテルの財産の一つ
アメリカの大富豪モルガン家の子息が、のちに「モルガンお雪」となる祇園の芸姑と出会ったのは、都ホテルに長期滞在中のことでした。そしてホテルを去るにあたり、「お世話になったお礼に」と贈られたのが、葵殿庭園の入口に置かれている灯籠。また、1968年(昭和43年)に佳水園に長期滞在した川端康成が、お礼にと書いた書も掛け軸となって保管されています。このように、ホテルをひいきにしている人々から贈られた物も多数。後にノーベル賞を受賞した川端康成のように歴史に残るような方々と縁があり、頂いた作品の価値がいつの間にか跳ね上がっていることも。時には「あの先生の物が無造作に飾られているなんて残念です」とお客様からご指摘を受けることもあったとか。でもこれらの頂き物はホテルの心尽くしの証。いかに居心地良く過ごせたかが伝わってきます。
自然保護区のような緑も憩い
敷地内には目を見張るような自然美があふれています。代表格は京都市文化財(名勝)に登録されている2つの庭園。葵殿庭園は著名な造園師の晩年の傑作とも言われ、急斜面を活かして配された三段の滝が印象的です。もう一つは佳水園の庭園。巨大な自然岩盤の中央を滝が静かに流れ落ち、時が止まったかのような静寂な別館を引き立てています。
ホテル裏の華頂山一帯には野鳥の森・探鳥路も作られています。散策マップを片手に、四季折々の花が彩りを添える緑濃い敷地内を散歩すれば、ナチュラルヒーリング効果がありそう。市内にいながら天然のアロマに包まれてリフレッシュできるのも大きな特徴です。