リーガロイヤルホテル大阪 (大阪府/大阪駅・梅田周辺)

リーガロイヤルホテル大阪
リーガロイヤルホテル大阪
ベネチアンゴシック式で建てられた新大阪ホテル

ベネチアンゴシック式で建てられた新大阪ホテル

ロビーフロアに造られた大きなラウンジ

ロビーフロアに造られた大きなラウンジ

ゆったりとしたベッドが自慢のツインルーム

ゆったりとしたベッドが自慢のツインルーム

最高の眺めの和食レストラン「星宙」

最高の眺めの和食レストラン「星宙」

日本一を目指したベネチアンゴシック式の新大阪ホテル

1925年、大阪市は東成郡、西成郡を加えたことで「大大阪」となり人口211万人となりました。人口で東京を抜き日本一の大都市となったのです。にもかかわらず、近代的なホテルはありませんでした。1928年には大阪で大博覧会が行われる計画もあり、大阪に日本一のホテルを建てようという機運が高まっていました。それがホテル建設実行委員会を結成させることになったのです。大博覧会は中止になったものの、プロジェクトは進み、1935年1月にベネチアンゴシック様式の「新大阪ホテル」が誕生しました。 しかし、太平洋戦争が勃発。ホテルの前途を暗闇へと変えてしまいます。金属回収により、エレベーターや暖房器具などが没収され、大阪大空襲により北区のほとんどが焦土となりました。幸いにもホテルの建物は残りましたが、終戦後、ホテルは米進駐軍将校宿舎として接収され、一般の営業が禁止されます。政府から与えられる収入は「賃貸料」だけとなりました。

”世界に通う夢と味”大阪ロイヤルホテル開業へ

1952年、接収時代が終わりホテルは営業を再開します。そして高度成長時代。新幹線開業、東京オリンピック開催と国をあげてのイベントが相次ぎ、慢性的なホテル不足から1965年、現在のリーガロイヤルホテルの敷地内に「大阪ロイヤルホテル」がオープンします。1973年には新館増築で客室数は1565。東洋で一番大きな規模のホテルとなり、名称も「ロイヤルホテル」に変更されました。同年「新大阪ホテル」は38年にわたった営業を終了します。

日本一のホテルを目指して

1990年になり、ロイヤルホテルグループは、名前をリーガロイヤルホテルグループへと変えます。リーガ(RIGA)は「ロイヤル・インターナショナル・ホテル・グループ・アンド・アソシエイツ」の頭文字を取ったもの。21世紀を目前に控え、サービス業としてのさらなる真髄を貫くという、強い意思の表れでした。そして、1997年にホテル名は「リーガロイヤルホテル」へと変わることになるのです。 歴史を持っているホテルはありますが、その分施設の年季は否めず、新オープンのホテルや外資系に押され気味なのが実情です。そんな中でリーガロイヤルホテルのように、戦後日本史とリンクした壮大な歴史を持ち、また国内でも屈指の施設とサービスを維持しているホテルはまれな存在です。昭和初頭に、日本一を目指して建てられたホテルの意志を受け継いだリーガロイヤルホテルは、今も日本一のホテルを目指して突き進んでいます。

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