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特集


ドイツは芸術音楽の歴史において重要な役割を担った大マエストロを多数育んだ国だ。後世音楽家の指針となったバッハ、音楽を芸術の域にまで高めたベートーヴェン、そして現代音楽の扉を開いたシェーンベルク。 そして忘れてはならないのがワーグナーだろう。ドイツにはこうした音楽家達の歴史と足跡に出合える場所がたくさんある。彼らの目指したもの、人生、喜びや悲しみをそこから感じ取れたら、音楽はさらに感動的なものになるはずだ。
ドイツの中でライプツィヒほど多くの作曲家に関わりのある土地はない。さかのぼればローマ時代から交易の要所として栄えてきた都市である。商業や出版が盛んなこの土地には、芸術に対する理解も深かったに違いない。ライプツィヒはワーグナー生誕の地としてだけでなく、地方で、または他の国で音楽を志した人間が芸術家として職を得、その名声を高める役割を果たしたのである。

バッハがライプツィヒに来たのは38歳。街の教会の聖歌隊および礼拝音楽指揮者として多忙な日々を送りながら「マタイ受難曲」「ヨハネ受難曲」を作った。トーマス教会はバッハが晩年まで勤めたところ。彼の墓もここにある。また、かつて彼が指導した伝統ある聖トーマス教会少年合唱団の歌声は金・土曜日の午後に聞くことができる。マルクト広場の近くにはバッハ博物館も。
オペラハウスと新ゲヴァントハウスは、この街の音楽の殿堂であり、250年の歴史を持つゲヴァントハウス・オーケストラの本拠地。マーラーはオペラハウス首席指揮者、メンデルスゾーンはゲヴァントハウス管弦楽団指揮者を勤めた。ハンブルクの裕福な家庭に生まれたメンデルスゾーンは、彼が受けた豊かな音楽教育を後人に伝えるべくライプツィヒ音楽院を開校。シューマンもここで教鞭をとっていたことがある。

そのメンデルスゾーンの生家は新ゲヴァントハウスの近く。一般公開されており、毎日曜日にピアノコンサートが行われている。また1909年からイプツィヒ市歴史博物館となった旧市庁舎には、メンデルスゾーンの部屋がある。ユダヤ人ゆえ厳しい批判にさらされ(その急先鋒がワーグナーだった)、ナチス政権下では演奏を全面禁止されたメンデルスゾーン。死後にこれほど毀誉褒貶の激しかった作曲家はいない。
いわずとしれたワグネリアンの聖地。ワーグナーは従来の独立したアリアを持つオペラの形態を拒否し、1幕を1楽章とする「楽劇」という大改革を行った。その彼の理想音楽を理想の形で上演すべく、ワーグナー自身が建築を手がけたのがバイロイト祝祭劇場。 貴族の社交場の意味合いが強かったオペラハウスを万人のための芸術の場とすべく、バルコニー席のある馬蹄形からひな壇型へ、オーケストラピットは奈落へ、客席は暗闇にするという当時としては画期的なアイデアであった。これは後の近代劇場の手本となっている。
バイロイトでは毎年7月下旬から1カ月間、この劇場を中心にしてバイロイト音楽祭が開催される。記念すべき第1回は1872年。これもワーグナーが音頭を取った。上演演目は「さまよえるオランダ人」から「パルジファル」までの10作品に限られ、この音楽祭に参加することは音楽家や演出家にとって大変な名誉とされている。チケットははっきりいって入手困難で、8年待ちというケースも珍しくない。もし幸運にもチケットが手に入ったら、終生自慢のタネになるだろう。

ワーグナーと同じくバイロイトで永眠したのがリストである。希代のピアニストである彼のドイツデビューはブタペスト。ヨーロッパ各地で精力的にリサイタルを行い、後には指揮者としてもデビューした。弟子に恵まれ女性にも人気があったリストだが、最も知られているのが娘コジマとワーグナーの不倫・略奪愛であろう。ようやく騒動にケリがついた1886年、バイロイト音楽祭参加へと向かったリストは肺炎にかかり54歳の生涯を閉じた。バイロイトにあるワーグナー博物館の側には、このリストの博物館が建てられている。
ボンは楽聖ベートーヴェンの生地。ミュンスター広場に立つベートーヴェン立像はいかにもドイツらしいデザインだ。マルクト広場近くには彼の生家や、彼が洗礼を受け、少年時代にオルガンを弾いていたレミギウス教会がある。ベートーヴェンは身の周りに無頓着で服は着たきりスズメ、入浴もほとんどせず、室内は乱雑を極めていたらしい。ピアノの下には常におまるを置いていたというが、さすがにそればかりは再現されていないようだ。

シューマンはライプツィヒの南ツヴィッカウで生まれた。ライプツィヒ法科大学やハイデルベルク大学で学んだ知識人でもある。ロマン派の作曲家として250曲に及ぶ美しい歌曲を作る一方、鋭い批評眼を持ち、自ら音楽新報社を設立し編集者として活躍した。最終的には精神を病み(原因は生来の性質とも梅毒ともいわれる)、44歳でこの世を去った。ボンにはそのシューマンの記念館がある。
ハンブルクを中心とする北ドイツは音楽が盛んな街。毎年6月末から2カ月にわたって開催されるシュレスヴィヒ・ホルシュタイン音楽祭は特に名高く、古城や教会、野外劇場はもとより、農家の敷地や納屋までをも会場にして、100回以上のコンサートが行われる。ちなみにハンブルクはヨーロッパ大陸で初めてミュージカルが上陸した都市、ビートルズがデビューした街としても知られている。

ハンブルクの音楽のメッカは国立オペラ座とムジークハレだろう。毎年8月末から翌年6月末までのオペラジーズンには、世界中のオペラファンが国立オペラ座詰めかける。注目は毎シーズンごとに新演出が施されること。古典的かつ伝統的な演出をよしとしないのは、哲学の国ドイツならではといえる。時には観客の激しいブーイング(演出に!)にさらされることもあるが、それを楽しみに訪れる通もいるとかいないとか。なお、マーラーはかつてハンブルク市立歌劇場指揮者だった。
聖ヤーコブ教会は14世紀の建造物。内装の荘厳さに目を奪われるが、中でもバッハも演奏したというアルプ・シュニットガー作のパイプオルガンが圧巻。またハンブルク歴史記念館の近くには当地出身であるブラームスの記念館がある。 モーツァルトとベートーヴェンの音楽を手本としていたブラームスは、一見頑固で辛辣だが、実は大変な人情家だったようだ。ほぼその活動をウィーンで行ったにもかかわらず、ドイツでも非常に尊敬されており、生前から数々の名誉を授けられたのはその人格ゆえかもしれない。
ワイマールのマルクト広場の南にリストの家がある。この地にはリスト音楽院もある。ドイツ・ナショナル劇場はリストやリヒャルト・シュトラウスが楽団長を勤めた劇場。

アイゼハナはバッハの生誕地。マルクト広場にあるゲオルグ教会はバッハが洗礼を受けたところで、南にバッハの家がある。ロイター・ヴィラは詩人フリッツ・ロイターの住んだ家。1階はワーグナー博物館になっている。またワーグナーの「タンホイザー」はこの街が舞台になったオペラ。
バーデン・バーデンのブラームス広場のそばにブラームスハウスがある。彼は1865〜1874年までここで暮らした。引っ越し魔だったブラームスは生涯各地を移動していたという。

ニュルンベルクはワーグナーのオペラ「ニュルンベルクのマイスタージンガー」の舞台となった街。また、ここにあるゲルマン国立博物館はピアノの収集数世界一を誇る。
■映画で見るベルリンの街
ドイツ映画には優れた都市ガイドになる作品がある。その1本がヴィム・ヴェンダース監督の「ベルリン・天使の歌」。統一前のベルリンが舞台だが、天使の視線で見るブランデンブルク門、勝利記念塔の静かで美しい姿は強い印象を残す。

一方「ラン・ローラ・ラン」(トム・ティクヴァ監督)では、主人公が現在のベルリンの街を走る走る走る! というパラレルストーリー。全編に流れるサウンドは、もはやドイツ国民音楽ともいえるテクノ。こういうご当地映画は旅行前だけでなく、帰国後に見直しても感慨深いものがある。
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