
LRT(高架鉄道) 行き先によって12ペソと15ペソあり、チップもいらず安心して乗れる


ジプニー いたるところに走っている市民の足


マニラ聖堂 結婚式


町の中のクリスマスデコレーション


ハーバー・ビューのレストラン


ノミネートされたグループのパレード


ノミネートされたグループのパレード


タール湖


タール湖(ポール)


タール火口


タール火口で商売をする高校生 |
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| マニラ > フィリピン |
投稿日:2008/1/22 |
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今回の旅行の目的は、「一人で行って、一人で帰る」ことである。過去の海外旅行はすべてお膳立てされたものだったが、これからロングステイを考える私としては、そろそろ自立しなければと思ったのである。アジアならばどこでもよかったのであるが、退職後の受け入れがよいようなので今回はフィリピンにした。まずはインターネットで航空券とホテルの予約をとり、マニラでの行動は現地へ行ってから考えることにした。
1日目
12月22日14時、予定通りニノイ・アキノ国際空港に到着した。「税関を過ぎたら、市内へのタクシークーポンを買う」「着いたら空港カウンターで帰りの航空券のリコンファームを済ませてしまう」などとガイドブックに書いてあった。うろうろしているうちに二つの目的を達しないまま、外にでてしまった。到着早々これでは先が思いやられると思い、せめてリコンファームだけでもしなければと思い、出発ロビーへ向かった。
しかしそこには厳重なセキュリティーチェックが待っていた。入りたい旨を説明するのだが、どうもうまく通じない。そのうち帰りの航空便であるタイ航空の事務所に連れていかれそうになった。「自分が案内する。まずはIDカードをつけて、チェックを受けて・・・」と、言われるままにしてついていくと、警備員は「チップね」とささやいた。リコンファームがこんなに面倒なものではないはずだと思い、「今すぐには必要ないので、あとで航空会社へ自分で電話をする」と言って、引き返した。到着早々のトラブルだった。とにかくホテルにはいることが先決だと思い、高いか安いかは分からないが550ペソで手をうちタクシーに乗った。
アトリウムホテルは、一見ビジネスホテルのようでとても質素な佇まいだった。受付は15階にあり、応接セットが二つしかない。続きの間に広いレストランがあり、かろうじてホテルとしての面目を保っていた。1泊5000円では仕方がないかと思いながら、23階の部屋に案内された。そこには予想以上の部屋が待ち受けていた。日本流に言うならば30畳くらいの広さで開放感にあふれ、マニラ市内の眺望もすばらしい部屋だった。「風呂の湯がもう少しほしい」「スリッパぐらいつけておけ」と不満もあるが、その不満もがまんできるくらいのすばらしい部屋であった。4泊5日のベースキャンプ地としては申し分ない。しかも、歩いて3分くらいの場所に高架鉄道(LRT)のヒル・プヤット駅があり、交通の便も上々である。
2日目
1日目の観光は、教会巡りをすることにした。クリスマスシーズンなので、宗教行事を期待した。LRTを利用して行くことにして、ヒル・プヤット駅の階段を上がると、二人の警備員の姿が見えた。立ち止まって様子をみていると、乗客の荷物をチェックしているようだった。ここまでの厳戒態勢には、ちょっとびっくりである。15ペソを払ってチケットを買い、無事に乗り込んだ。全てがはじめての体験で、ひやひやドキドキの連続である。セントラル駅で降り、マニラ大聖堂へと向かった。
マニラ大聖堂前では、何やらの人だかり。職員に入れるかと聞くと、10時までならば大丈夫だという。ミサとは少し雰囲気が違うようなので、近くの人に尋ねると結婚式が始まるということである。これはおもしろいと思いすぐに職員と交渉、最後尾で見学させてもらうことにした。「参加者が自分の周りを見て、お互いにうなずきあう」シーンを見て、あーこれは「隣人を愛せよ」ということだな。「手のひらを上にして、両手を広げる」シーンを見て、あーこれは「神のご加護」ということなのかな。勝手な解釈をしながら、カトリックの結婚式を最後まで楽しんだ。
3日目
今日はクリスマス・イヴ。昨日から行く先々でミサに参加し、いつしか俄か信者になっていた。夕方のミサに参加しようとリサール公園を歩いていると、一人の男性が声をかけてきた。彼の名前はポール、58歳、家族と共にこの公園に来たという。彼からはいろいろな情報をもらった。もう少しするとこの公園で、アメリカのアカデミー賞発表のような催しが始まる。そのためにノミネートされたTV番組や映画のタレントが、パレードで入場してくる。これを見るために、田舎から人々が集まってくる等々。俄然、人々が走り出した。
パレードがやってきたのである。車の上から俳優たちが手を振ったり、物を投げたりしてすごい賑わいであった。彼とは、明日の観光ガイドをお願いして分かれた。この夜、マニラの街には、いたるところで花火が上がっていた。
4日目
LRTのモニュメント駅でポールと落ち合った。彼に3500ペソ渡して、すべての支払いを任せることにした。目的地タール火口は、ここから南にバスで2時間ほどの場所だそうだ。いずれのバスも、たくさんの荷物をもった人たちで満員だ。久しぶりにでたマニラで買い物をして、昨日のオスカー賞見学を終えて帰る人たちだという。目的地へは直通バスがないので乗り換えたが、飛び降りたり、飛び乗ったり、40年前の子供時代の経験を懐かしく思い出した。
最後は、ジプニーに乗った。ジープを小型乗り合いバスに改造した車だという。市民の足とも言え、市内にはたくさん走っているが、ちょっと観光客には手がだせない。行き先が分かったにしても、どの道を通るのか、又料金はいくらなのかが分からない。ところがポールのおかげで、あきらめていたジプニーに乗る機会がやってきた。車の後方から頭を下げて乗り込み、向かいあっている長いすのようなシートに座った。片方のシートには約7、8人位の人が腰を下ろすことができる。
満員の車内では、見知らぬ人同士が賑やかに話していたり、他の人の乗車料金を中継ぎで運転手にわたしたりしていた。そんな中に入って、現地の人に一挙に近づいたような気分になった。しかし、エンジンの騒音と排気ガスにはどうしても馴染めなかった。タール湖のほとりから、舟にのって対岸に渡り、その後約10km馬に乗って、噴火口に登っていった。私たちが着いたとき時には、観光客は私たち二人だけだった。ポーラがいうように、確かに「穴場」のようだ。小学生の女の子が自分の馬に乗ってくれと声をかけてきた。
12月25日は祝祭日なので学校も休みになり、小学生がたくさん働きにでていた。ポーラが、「クリスマスチップ、100ペソを着いたらわたしてくれ」と教えてくれた。急峻な細い山道をどんどん登って行った。おちないように必死に鞍にしがみついていた。タール火口は、本当に小さかった。真ん中のくぼみが湖になっており、その周り2箇所から煙がでていた。ポーラは「珍しいだろう、よく見ろ」と言っていたが、日本人の私には感激はなかった。しかし、安心して思いっきり深呼吸ができる自然には感激した。小さな小屋があり、高校生がココナッツや飲み物を売っていた。それにしても日本人に会わない。ここに来るまでに出会ったのは、韓国人ツアーとシンガポール人の夫婦だけだった。
「一体、日本人はどこへ行くのでしょうね」と聞くと、多分「セブ島だろう」という。ルソン島自体に、日本人はあまりこないのかもしれない。そういえば、マニラ到着後、日本語を聞いた覚えがない。
「帰り道は遠かった、来たときよりも遠かった」。私が若いときに流行った歌だが、聞きしに勝るマニラ市の渋滞だった。二車線の道は、まったく動かない。バスの運転手は、突然、進路を変えて対向車線に飛び出した。後続の車もバスに続いてきた。対向車はパッシングをするが知らん顔。対向2車線の4車線道路は、突然3車線と1車線の道路に変わってしまった。本当に自由な国だ。考えてみれば、合理的な行動であるが、規則に縛られ、柔軟性を失ってしまった日本人にはもはやこのような動きはできない。
UN(国連通り)駅近くの食堂で、遅い夕食を食べた。「ビールをもらっていいですか。」「料理おかわりしていいですか。」60歳近いとは思えない食欲である。話の合間に、最初に渡したお金はすでになくなったことを伝えてきた。そうか、ここの食事代はすべて私もちということなのだなと了解した。「最初に渡したお金と食事代、お礼の700ペソを合わせると、業者にツアーを申し込んだ金額と同じくらいになるなー」。でも、ツアーではできない経験がいっぱいできたから「まあ、いいか」と納得することにした。ところが、それだけで終わってはいなかったのである。店員さんが、袋をもってきて、ポーラに渡した。「中尾さんこれもお願いね、妻の分です」。 ・・・開いた口が塞がらなかった。さすがにマニラだ。
5日目
祝祭日続きで出来なかったリコンファームも、朝、漸くできた。驚きの連続だった旅行も今日で終わりである。早めに空港に着いたため、タイ航空のチェックインカウンターはまだあいていなかった。カウンターボードで確認していると、空港案内の職員がやってきて「出国カードを持っているか」と声をかけてきた。「ない」とこたえると、「パスポートをみせろ」と言う。何をするのかみていると、カードに記入し始めた。親切な案内だと感心していると、「チップ」とささやいた。
そうだよな、ここはマニラだよなと思いながら、20ペソわたした。「これでは少ない」と不平をいっていたが、知らん顔をしていた。油断もすきもあったものではない。タイ航空の機内に腰をおろした時には、内心ホットした。ストレス発散の旅行のつもりが、反対にストレスだらけの旅行になってしまった。でも、パック旅行ではできない素顔のマニラをみることができたのは収穫だった。そして何よりも、「一人で行って、帰る」ことができたのは、私自身の大きな「キャリア」になった。 |
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